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〔staff〕
テレンス・マリック監督、ジム・カヴィーゼル、ショーン・ペン、エイドリアン・ブロディ、ベン・チャップリン、ジョン・キューザック、ニック・ノルティ、ジョン・C・ライリー、ジョン・トラヴォルタ
1999年、アメリカ、171分
製作:ロバート・マイケル・ゲイスラー、グラント・ヒル、ジョン・ロバデュー、製作総指揮:ジョージ・スティーヴンス・Jr、原作:ジェームズ・ジョーンズ、脚本:テレンス・マリック、撮影:ジョン・トール、音楽:ハンス・ジマー
ベルリン国際映画祭(1999年):金熊賞
〔story〕
舞台は第二次世界大戦中のガダルカナル島。
日本の占領下の島へ米軍が奪回の為侵攻します。
敵の攻撃があると思われた上陸を無血で済ませ、米軍は高台の攻略に入ります。
しかし、日本兵の激しい抵抗と指揮官からの無謀な突撃命令に板挟みになった兵士達は多くの戦死者を出しますが・・・
〔impression〕
人が変わってしまうということを、ここまで悲しく描いた映画は他にはないと思う。
人がこれほどまで殺し合い、よく判らない戦争の中で、誰の為かも判らず、何が原因かも判らず、ただ戦う、休む、そして戦うという行為を繰り返し、その中で自分が変わっていく恐ろしさをありありと感じながら、けれどもそこから下りてしまうという選択は兵士にはない。
「おまえか?俺の友達を殺したのは?」と異国の言葉で問われても、それは伝わらないと判っていても、たぶん兵士達には相手の言っていることは判るのだろう。
自分も彼らもやっていることも、されていることも、殺しあっている理由も、自分がなぜここにいるかも一緒だから。
目の前で人を殺す時、兵士はみんなこの言葉を思い浮かべ、ただその答えを見付けるよりも早く殺すという行為に及ぶしか出来ないのだろう。
どこまで求めても答えられることのない自問は、死ぬ瞬間、殺す瞬間に答えが浮かぶことなんてないのだろう。
ただ自分が越えたくなかった線を越えた時の嫌な音がするだけで。
仲間を殺したから相手を殺す。大事な人を攻撃するから戦う。
兵士にとって戦争というのはそれだけのことだから、相手を殺したいと思わなくても、自分がその戦争に加担した以上、相手を殺すという選択を捨てることもまた許されない。
人が幸せを求めるように、大切な人を奪おうとする相手を殺すというのも人間の感情なんだと思う。
海や空や森や風や大地や植物や動物は決してそんなことはしないのに。
小さな村で暮らす島の人々もそんなことはしないのに。
そんな島にアメリカと日本から来た兵士達はお互いを殺しあう。
その行為がどれだけ自分を歪め、どれだけ自分に纏わりつくかというのを自覚しているのに、それでも殺すということを続ける。
本当に何の為の戦争なんだろうか?兵士達は自問する。
離れて暮らすことすら耐えられなかった妻や、自分を信頼して付いてくる部下達、ただ戦争を経験したかった者もいるし、人を殺すという現実を考えていなかった者もいる。戦功を立てそれで満足する者もいる。
なぜ自分は戦っているのだろう?なぜここまで辛い思いをして、目の前で死んでいく仲間を見て、子供すら殺されていて、レイプよりひどいことをして戦うのだろう?
自問しても答えが出ることはない。
戦うという意思を決めた時から兵士達には戻ることは出来ない。
自分の中の赤い線を越えて自分が今までの自分に戻れないことを知った時、それは自分にとって何が変わるのだろうか?
人を殺した自分、人に殺されそうになった自分。
それを抱えて生きていくというのはどれだけ自分を苦しめるのだろう?
戦争だから。と開き直ることしか出来ないのだろうか?
それともそのことを称えて生きていくのだろうか?
一生懸命そのことを忘れようとするのだろうか?
耳元を掠める銃弾、前に進むと撃ち殺される仲間達、後ろから進めという上官、死んでいく者の為にただ死ぬ苦しみを和らげるモルヒネを渡そうとして銃弾の中を走る軍曹、戦うこともなく手榴弾を自発させて死ぬ兵士、水すらも運ばれてこない。
なんの計画性もなく、自分が死んだことすらも見つけてくれない戦争。
そしてやっと殲滅させた敵の姿は武器も食料も枯渇し、ただやせ衰え逃げるばかりである。
彼らも同じだ。自分が逆の立場だったらこうして死に掛けて戦い、捕らえられ、そして侮辱され殺されていく。
どうしてこんなことを自分がしているのだろう?
早く帰りたい。帰らせてくれ。勲章もいらない。不当な評価への申し立てもいらない。
ただ帰らせて欲しい。裏切り者でも卑怯者でもいいから帰らせて欲しい。
怪我をしてでも、無能と言われても、そこから帰ることの出来た兵士は幸せかもしれない。
本当に?本当に幸せなんだろうか?
これだけの思いをして、これだけ死んで行く人を見て、これだけの人を殺して、それでも生きていけるのが幸せなんだろうか?
彼らは昔のように愛する人を愛せるのだろうか?
死ぬまで人を殺した方が幸せなんじゃないだろうか?
そうして自分の死体すら誰からも見つけてもらえず、ただ大切な人を死ぬ直前に思い浮かべて、そしてその土地で朽ちていく自分を思い浮かべた方が、大切な人にどんな自分になってしまったか?を見られるよりも幸せなんじゃないだろうか?
この映画の感想をいつになったら書くだろう?と僕の中でずっとわだかまりになっていた。
映画を観るということを僕にのめり込ませたのはこの映画だし、映画というものがここまで複雑で感情的なものだと教えてくれたのはこの映画で、そして自分の趣向というのがここにある。と教えてくれたのもこの映画だ。
それだけの思い入れで書くに書けなくて、でも次のテレンス・マリックの映画までにはどうしても心に整理を付けておこうと決めていて、今回「ニュー・ワールド」が公開されるということで思い切って書くことにした。
この映画は一年ほど見ていなかったけれど、書いてみると次から次に言葉が頭の中から出てきて、この映画に対してどれだけ自分が吐き出したい想いがあったかが判って嬉しかった。
とても感想と呼べるような文章にはなっていないし、映画がそうであるように問い掛けることばかりの文章になっているが、確かに僕がこの映画を観る時、こういう気持ちで観ていると思う。
だからあまりにもぐちゃぐちゃの内容に修正も考えたが、そうすることで自分の考えも失われていく気がして、同じことを何度も言っていても、答えの出ないことを言っていても、最初と最後で言っている事が変わっていても、それは直さないことにした。
そうする形でしか言い表すことが出来ないのがこの映画だから。
色々な兵士が戦場へ来て、色々な悲惨な思いをして、色々なことを考え、そしてある瞬間に自分が自分でなくなってしまう。
それが悲しいのか、苦しいのか、絶望しているのか、とにかく本当に嫌な音がピンとするように、ただ瞬間的に人が変わるのが悔しいほどに切なくて、どっぷりとこの映画の自問の世界に浸かっていく。
そして観終えても彼らの想いがこの映画でどこまで安らぐことが出来たのだろう?と寂しい想いが残る。
僕にとってはそんな映画だから、こうした形の感想になってしまったことは、決して嫌な気持ちはしていない。
最後に、哲学的な要素を多く持ちながら、この映画が兵士の心理分析を許さないのは奇跡だと思う。
それはテレンス・マリック自体が戦争のどこどこに問題があるとはっきり提示するのではなく、ただ戦争の中にある兵士達の事実、そして兵士達の自問と葛藤だけを描いたからなのだと思う。
多分、テレンス・マリック自体も戦争という場で兵士達が問いかける自問の答えは見つけられないからだと思う。
だから彼は一人でも多くの兵士を描こうとし、そこにあった自問をひたすらに形にして、それがどれだけ悲しいことであるかだけを伝えようとしたんだと思う。
そして、そうすることで戦争で死んだ人達、戦争で生き残った人達、戦争に大切な人を殺された人達の心を癒そうとしたのだと思う。
とても静かで、とても悲しく、とても痛い映画だけど、とてもとてもとても優しい映画だと思う。
実際に戦争を経験した人がこの映画を観たらなんと言うだろうか?
きっと描いてくれたことに感謝すると思う。
祖父は嫌がるだろうが、観せてあげたかったと思う。
2006/05/01
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